Rubbish or Brilliant

何かを始めようとして、数分後に諦めるまでの一部始終

Wakky Advent Calendar 2022 #1 はじめに

数年前,出身大学のアドベントカレンダーへの寄稿を募った際に「ブログ記事というのも最近はより一層流行らなくなった」と書きましたが,それでもまだ今でも強い気持ちの表明や,類まれなる文才の方々(おまけに偏見を付け加えると,インターネット黎明期から生き残りし人生の半分程度を過ぎたような方々)がブログに感情や記録を書き残しておられます.それらの記事を拝読し,一部分だけを心のどこかに留め,ブックマークも反応も残さず閉じる,二度と開くことはない,もしくはブラウザの閲覧履歴には残れどタイトルすら思い出せなくなり見たい時に開けなくなってしまう,という流れを私は繰り返してしまいます.ぼーっと生きています.

 

今ではあまり聞かなくなりましたが,ツイッターは「ミニブログ」とか「短文投稿サイト」と初期の頃は呼ばれてたと思います.そう呼ばれていた時から青い鳥の格好の餌になっていたからか,歳をとって気が短くなったか,あるいはその両方か分かりませんが”メモ帳をスクショした長文”や”やたら長いリプライツリー”によるお気持ちの表明については快く思わない,というと角が立ちますが,違う何かに書き残してくれと思います.(手っ取り早いしどれだけ見てくれたかも計りやすいし,反応も返ってきやすいので多用する気持ちは理解できる)

 

そうとはいえ,長文をダラダラと長々と書き連ねたい時はあります.特に,自分の感情を揺さぶる何かが起こって,その後少し冷静になった時がその時です.だいたいとそういう時はツイッターを触っている.もっと限定して言うと,ライブやイベントの後は感情のままに言葉を発したい,そして,だいたいそういう時はツイッターにいる.そうでなくてもツイッターをしている.私は,自分のタイムラインを”愉快なフォロワーで構築した最強のデッキ(クラスルーム)”と思っているので,少し冷静になって文字を書き始めてしばらくすると思ってしまうのです.「急に知らない話題を早口で長いこと騒ぎ始める怖い人と思われません?これ」と.

 

でも,どうしても騒いで自分の記憶にとどめておきたいこの気持ち,色んなライブ・イベントに参加して記憶がどんどん上書きされて行って月日が経つほど記憶が薄れていって忘れてしまうのがもったいない(お金を払ってみたのでね!自分,ケチなので).誰かに見てもらって共感してもらいたいとか布教のためが主目的ではなく,結果としてそうなればよいと思う程度で,まずは自分が人・物・コンテンツに対して思ったことを忘れないようにしたい.また,本当におまけ程度で,うっかり見てしまったその演者さんや関係者の人に,よかったぞという気持ちが伝わって次の良いものを作ってくれるきっかけになるように(恥ずかしいから見ないでほしい,まず見ないと思うけど).

 

散々に長いこと前置きを勢いで書きましたが,

・今年いっぱいライブ・イベント行った感想を書きたい

・でもツイッターで長文書くのは宗教上の理由と気恥ずかしさから嫌

・ワンチャン他の人とか,あわよくばそのコンテンツに出ていた人の目に入って

 ポジティブな気持ちになってもらいたい

という理由で,このブログに

adventar.org

として記事を書いていこうと思います.

狂気の自己満足アドベントカレンダーという名の文字を書く修行の開始です.